不眠日記

寝れない夜に書く日記

3/28 Wed

人生、選択、学歴、親、反抗、否定、承認、親離れ、鬱、パニック障害、吐き気、やっていき

自分という人間について母親と語る時、母親とは本当に分かり合えないということがわかった。 父親とはそもそもそういう話をしないので(というか話自体ほとんどしない)分からないが、恐らく向こうは興味がないのでそもそもそういう話をしないのと、僕は父親が怖いのでへいこらして終了だと思う。

学歴は高くなければならない

母親と過去の話をするといつも喧嘩になる。

僕が小学生低学年のとき父親は失職中で、そのときに母親が「父親は高卒だから職が中々見つからない」というようなことを繰り返し/あるいは印象深くなるような言い方で僕に語っていて、それが記憶の根底にあって、高校も偏差値の高いところを目指したし、大学も偏差値の高いところを目指した。 学歴がない人間は生きるのが難しいと強く刷り込まれたからだ。

その話を母親にしたら、「そんなことは一言も言ってない」と言われて喧嘩になった。 仮にそれが事実だとして、では僕の心にある「学歴は高くなければならない」という観念は一体どこから生まれてきたものだというのか。自然に生まれた観念だとでも言うのだろうか。

しかし今回の話についてはどうも母親の方に分があるような気もしていて、というのも事実として母親は高卒である父親と結婚しており、また「手に職をつけろ」ということも度々言っていたように思う(これも「言ってない」と言われるかもしれないが)。

言葉に縛られるべきではない

ここに至ってやっと気づいたのだが、人は他人の言うことに縛られて生きるべきではない。他人は自分の人生について責任を取ってくれるわけではない。確かに言っていたと思ったことでも「そんなこと言ってない」とひっくり返されることもある。自分が言われたと思いこんでいるだけの可能性もある。

私は人よりも、言葉に縛られやすい人間のようで、それは自分の言葉にも縛られやすいということでもある。他人の口から出た言葉、自分の口から出た言葉に縛られるのはやめる。自分の気持ちを大切にしていく。そのように考えた。