不眠日記

寝れない夜に書く日記

12/8

タイムマシーンに乗って12/4になりました。これは誰も書いていなかった Kumano dorm. Advent Calendar 2019 4日目の記事です。

カロリーを取って布団で無をし、カロリーを取ってプログラミングをちょっとするという休日を2日連続で送っている。寒さが原因なのかなんなのかわからないが、仕事が一段落したタイミングでこういう挙動になるのは、溜まっていた疲れがでたということか。先週の同釜会の疲れがここで出ているのかもしれないが。

本日は、ソフトウェアの設計について最近考えていたことを文章にしようと思ったけど思いとどまるということをした。正確には、文章は書いたのだがバックグラウンドとなる知識が足りないため、なにか大きく間違ったことを書いているのではないかという不安を感じて公開を思いとどまった。DDDとかクリーンアーキテクチャを完全に理解しているわけではない人間が、それらについて語るべきではないという考えからである。この観念を回避する手段として、「これはDDDやクリーンアーキテクチャとは関係なく、もっと素朴に考えたことなんですよ」と予防線を貼るという手段がある。多くの人が色んな分野で同じことをしている。例えば...例を挙げると怒られそうなので書かない。

仕事で週5日8時間やっていることをブログに書くべきなのではないか?ということを最近考えている。僕は仕事でクリーンアーキテクチャとかDDDをやっているわけではないので、このあたりについてはそこらへんの素人と同じぐらいの知識量しかない。せっかく仕事でやっていることがあるのだから、それをブログにしたためたほうがなんぼかマシなのではないか?しかしながら僕が今やっている仕事はブログに書いて派手さがあるような仕事ではない。いや、プロジェクトとしてやっていることは凄いことなのだけど、それはチームの人が凄いことをやっているというだけであって、僕が現在具体的にやっていることは、キレイなコードを書くこと、仕様を理解すること、そのために人とコミュニケーションを取ること、といった地味な作業である。非常に楽しいが、文章に起こしたときになにか派手な、流行りの要素があるわけではない。

ここまで考えたが、ブログを書くのは注目を集めるためであるという観念に支配されていることが明らかになってきた。ブログを書く理由、注目を集めるため、新規性のあるものごとを発信するため、といったものがメインと考えられがちだが、注目を集めるためにブログを書くのはくだらないし、新規性のあるものごとを作るのはとっても大変なのであまり現実的ではない。

一般的な人間にとってブログを書くことに、考えたことを公開することという以上の意味はない。そういう気持ちになると、書いただけで公開していないDDDとクリーンアーキテクチャの記事を公開しても、仕事で学んだ地味なことを記事にして公開しても全然いいし、素人がクリーンアーキテクチャのexample codeをQiitaに書いて300いいねついているのも許容するべきだということになる。

日記なので落ちはありません