悲しみに こんにちは
思い通りにならないことに直面したとき、「悲しみ」として受け入れるという方法があると知るようになった。
悲しみにこんにちは することが「大人」になることなのか?というようなことを考えている。
仕事には、板挟みにされること、そして責任を引き受けることの対価として、金銭を受け取っているという側面があると思う。
私としては、当然のことながら、板挟みにあいたくはないし、責任を引き受けたくもないのだが、これを避けることは歳を重ねるにつれて難しくなっていくだろうという予感がある。
あるいは、大人になることを受け入れるのに悲しみを伴わない、という状態こそが「大人」であるのかもしれないのだが。