不眠日記

寝れない夜に書く日記

Just do it!

これは Kyoto University Advent Calendar 2019 の21日目の記事です。

 

こないだぷよぷよをやってたら5連鎖したんですけど、そのとき湧いてきた感想は「自分、ぷよぷようまいな?」というものでした。5連鎖をするのが難しいかどうかという議論は一旦置いておいて(5連鎖をするのは難しいとする)、この現象についてよく考えてみると、自分はぷよぷよがうまいのではなく、たまたま5連鎖が出たと解釈するほうが妥当です。実際に、それより前にも後にも5連鎖が出たことはない。本当にぷよぷよがうまいのであればコンスタントに5連鎖することができるはずなのだが。

このことは結構示唆的だと思っていて、ギャンブルの本質ではないかと思うわけです。誰しも自分の努力・才能・出自などの卓越さによって、勝利とか成果を勝ち取りたい、生み出したいと思っているわけですが、そういうのは誰にでもできるわけではない。ところがギャンブルをやっていると「確率的に勝利する」ということが起きる。客観的に考えるとそこに自分の努力とか才能とかが作用したかというのは疑わしいこともありますが、ギャンブルをやっている人の主観では「努力したことによって勝利を得た」と感じられるわけです。つまり自分の努力が肯定されたと感じることができる。だから人はギャンブルにハマるのではないでしょうか。

しかし、この考えを推し進めていくと、これは果たしてギャンブルに限った話なのだろうか?という疑問が生まれてきます。世の中には成功者という人々がいて、これは「成功するためには人脈」とか「成功するためには努力」とか「成功するためには実家の太さ」とかいろんなことを言います(成功者ではない人も言うことがありますね)。「成功」を「東大合格」とか「研究の進捗」とかに置き換えてもいいです。ともかく、そうした「成功的なもの」が、「要因的なもの」から生まれたというのは本当かというと、必ずしもそれは真実ではない。「成功的なもの」が生まれたときにたまたまやっていた「要因的なもの」が要因だったと思っているだけだ、ということも多くある。

そしてなぜそれを要因だったと思いたいのかというと、自分(の核となる物語)を肯定したいからではないでしょうか。「自分は昔から(才能|性格|出自)だが、そのことが要因となって成功を掴み取ったのだ!」という物語は魅力的です。しかしそのような物語を得られるのは限られた一部の人間だけ。だから人はそれを欲しくなる。逆に言うと、それを手軽に得る手段の1つがギャンブルである。

 

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Just do it!を使って、ガチャを引くように鼓舞する嘘字幕動画が作られるのは、意外と本質的なのかなと思ったりした。